杉原こうじのブログ2

武器取引反対ネットワーク(NAJAT)代表の杉原浩司の綴るブログです。こちらのブログ https://kosugihara.exblog.jp/ の続編となります。

【必読】「侵略と植民地主義の歴史に終止符を!」5.29新宿アクションに寄せられた駒込武さんのメッセージ


※1895年に台湾征服戦争が始まった5月29日に、新宿駅東南口広場で行った「侵略と植民地主義の歴史に終止符を!「日本が侵略を始めた日」新宿スタンディングアクション」に寄せられた駒込武さんのメッセージを全文紹介します。極めて重要な内容だと思います。ぜひじっくりとご一読ください。

【集会メッセージ】

駒込武さん(自主講座「認識台湾」実行委員/京都大学教授)

 台湾の歴史と現在と未来に関心を持ち、自主講座「認識台湾」に実行委員としてかかわる者として、今日の集まりに連帯のメッセージを寄せさせていただきます。
 1895年5月29日、日本軍が台湾北東部に上陸しました。下関条約による「台湾割譲」は、「割譲」された台湾民衆の意向にかかわりのないところで、清国政府と日本政府の取り引きとして決められたものであり、台湾民衆にとってはまさに青天の霹靂でした。この日を起点として台湾民衆の苦難の歩みが始まるとともに、日本は東アジアにおける植民地国家として大国化していくことになりました。
 わたしたちが、いま、その日を記念することの意味はどこにあるのでしょうか。
沖縄におけるジャーナリストであり詩人でもある川満信一さんが記した文章に寄せて自分の考えを語らせていただきます。川満さんは、1972年2月に『中央公論』に寄せた文章で次のように書いています。
 「近代日本の植民地化の実験は、沖縄にはじまり、台湾、朝鮮、満州、中国という過程を辿ったわけだが、朝鮮や中国に対しては戦争責任追及の観点から、民族としての原罪点を凝視しようとする真摯さがみられるにもかかわらず、それらのなかでも日本がもっとも民族的原罪点として対象化しなければならないはずの台湾民衆に対しては、無視、無関心に扱われてきたように思う。」(川満信一「沖縄における中国認識」『中央公論』1972年2月号)
 この文章が書かれたのは1972年2月、アメリカから日本への沖縄の施政権返還、また「日中共同声明」があわただしく準備されていた時期でした。
 沖縄で米軍の銃剣とブルドーザーによる支配からの脱出口を求めて「本土復帰」運動がわき起こる中で、川満さんは「本土復帰」は米軍基地を温存しながら日本資本の沖縄進出を図るものでしかないと反復帰論を唱えていました。
 川満さんはまた、ニクソン大統領の訪中などを契機として進行しつつあった米中接近、日中接近が台湾民衆を大国間の取り引き材料としかみなしていないことを批判し、自らの意思や選択で自らの歴史を決めていくことができない「島弧の少数民」として台湾民衆の苦悩への共感を表明しました。
 1972年の「日中共同声明」では日本政府は中国政府に戦争賠償請求の放棄を認めさせる一方で、「台湾は中国の一部」とする中国側の主張を「十分理解し、尊重」する姿勢を示しました。この声明は、自主・自立を求める台湾民衆からするならば、日本が対中国の戦争賠償を免れるために、自分たちの運命を中国に差し出すことを意味しました。
 川満信一さんは、こうした取り引きは中国政府がこれまで糾弾してきたはずの「大国主義」の路線をとるものではないかと批判し、「もし中国側に大国主義の発想があるなら、日米国家権力へのたたかいともに、その大国主義路線ともたたかうほかはない」と論じました。川満さん自身も社会主義者として社会主義中国への期待を捨てきれない状況の中での、苦渋に満ちた発言でした。
 川満信一さんの考え方は、1972年当時において斬新で特異なものでした。そればかりではなく、残念ながら、今日においても稀なものであり続けています。
 日本における戦争責任追及がもっぱら朝鮮・中国へと向かい、沖縄や台湾を含めて「近代日本の植民地化の実験」を総体として批判する視点を獲得できてこなかったためです。
 日本という国家への帰属意識の内側にほとんど無意識のうちに「大国意識」がべったりと貼り付いているために、沖縄や台湾のように「独自の国家」を構成していない地域の民衆は「煮て食おうが焼いて食おうが勝手といわんばかりの傲慢さが歴史的に形づくられ、今日にいたるまで連綿と続いているのではないでしょうか。
 その後中国では1989年に「天安門事件」と呼ばれる民主化運動への凄惨な弾圧が発生し、2020年に香港民主化運動への苛酷な弾圧が行われました。だとすれば、わたしたちもまた、川満信一さんにならって、日米国家権力とたたかい続けるのと同時に、大国主義路線そのものと対決する必要があるのではないでしょうか。
 それはかつての中国侵略戦争にかかわる責任を曖昧にするためではありません。東西冷戦の構図に巧みに利用しながら日本政府の戦争賠償責任を免罪してきた大国間の取り引きを見直し、「近代日本の植民地化の実験」とその帰結を総体として批判するために必要なことです。「独自の国家」を構成していない「島弧の少数民」の運命を自分たちが勝手に左右してもよいという思い上がりこそが、「近代日本の植民地化の実験」が生み出した意識でもあるからです。
 いまパレスチナではイスラエルという国家によるジェノサイドが行われていますが、ドイツ政府はイスラエルを非難しないどころか、支持しています。世界中のユダヤ人の中にはイスラエルによるジェノサイドを批判する人々が膨大に存在しているにもかかわらず、ドイツ人の中にはかつてのホロコーストへの罪責意識ゆえに現在のイスラエルによる国家犯罪を免罪しようとする人が少なからずいます。同じように、中国侵略戦争への罪責意識が、対中関係をめぐる判断を狂わせているころがないでしょうか?「大国」の中に自らの位置を占めると感じている者が、「国家なき民」を見下し、外部の者がその運命を勝手に操ろうとすることへのためらいのなさ、すなわち植民地主義的な感性と価値観こそ、いま真摯に省みるべきことなのではないでしょうか?
 1895年5月29日における日本軍台湾上陸を記念する今日の試みが、「民族としての原罪」の総体にあらためて向き合いながら、これを内部から解体していく作業の起点となることを願っています。